
―「あのお金、俺の孫にやってもいいか?」―
その一言が、胸の奥に重くのしかかった。
呼吸が浅くなるような、そんな感覚だった。
旧車を250万円で買ってきたときも、
「修理に300万くらいかかる」と言われて、
ふたを開ければ600万円が飛んでいったときも――
夫が嬉しそうなら、それでいい。
私はそう思っていた。
たしかに、夫の稼ぎで貯めたお金だった。
でも、私はその管理を任され、「老後の楽しみになるなら」と自分に言い聞かせ、コツコツと積み上げてきた。
その夫が今、電話口でこう言った。
「全部やるわけじゃない。車代と修理代は引いていい。
それでも残ったお金があるなら、孫に渡したいんだ。
家を建てるための頭金にでもしてほしい。
仏壇をおける家をな。」
言葉は、理屈としては通っていた。
前妻との娘は今、シングルマザー。
その孫は、私の孫と同い年。
かつて夫を支えてくれた前妻の母――
離婚後も、娘と孫を一人で支えてくれていたという。
その恩に報いたいという夫の気持ち。
……それは、理解できた。
でも、「理解」と「納得」は、やっぱり別ものだった。
電話の向こうで、夫が私の返事を待っている。
私は、絞り出すように言った。
「……少し、考えさせてほしい」
そして、そっと電話を切った。
電話を切ったあと、涙がこみ上げてきて――
私はしばらく、動けなかった。
その夜は、なかなか眠れなかった。
天井を見上げながら、思考だけがぐるぐると回っていた。
「前妻との孫に渡したい」
夫の声が、何度も耳に甦る。
理解はできる。
でも、どうしてこんなに苦しいんだろう。
あの車のことも、修理のことも、“楽しみのためなら”と、自分に言い聞かせて我慢できた。
だけど、今回のことは違った。
心の奥で引っかかっていた。
「それって、私が積み上げてきた時間や努力より、
“昔の家族”のほうが大事ってこと……?」
そんな小さな嫉妬や寂しさが、胸の奥で静かに疼いていた。
夫を責めたいわけじゃない。
むしろ、彼の優しさや律儀さは知っている。
それでも――
私は、自分がただの“通過点”のように思えてしまった。
そう感じてしまう自分が、また、苦しかった。

いつも応援ありがとうございます。
▶ 心のつぶやき カテゴリーの記事一覧は こちら
▶ 心のつぶやき 【1000分の2日目】はこちら