
昨日の夕方、ポストに夫からのノートが届いていた。
前回、私が送った内容とはかけ離れた返事が来たので、もう質問はやめようと決めていた。
今回は、会社の移転の話を軸に、夫の承諾を得ていた証券口座の解約が、セキュリティ強化の影響でログインできなくなったこと、その面倒を見きれなくなったことを書いた。
それに対する夫の返信は、こうだった。
お疲れ様です。質問がないのでホッとしています。
会社の移転の件は、検討しながら進めていきましょう。
沖縄は梅雨明けして暑いと思いますが、体調管理をしっかりしてください。
8月に来るのを待っています。
美味しい物を食べに行きましょう。ヨロシク!(土方だから、何が美味しいかわからない)
遊民が好きな物を食べに行こう!(店探してね)ヨロシク!
……ほら、また私に返ってきた。
もう、無理だな。この人。
「はい、終了」——そんな声が、自分の中から自然に聞こえた。
会社の移転の話も「一緒に」って感じだし、美味しい店くらい自分で探す努力もしないの?
全部、私任せ。
以前なら、そんなやりとりでいちいち傷つくことはなかった。
でも今の私は、違う。こじらせてる? いや、むしろ前の私がこじれていたのだ。
モヤモヤを放置していたからこそ、更年期うつにもなったし、生きるのが辛くなった。
バケットリストを書いたり、ブログに綴ったりするうちに、私は自分の内側を掘り下げる術を身につけた。
その結果、曖昧だった「違和感」の正体が、ようやく輪郭を持ちはじめたのだ。
夫の倫理観も、道徳観も、私にはもう合わない。
命式で彼の性質はおおよそ見えてきたけれど、それは私の課題ではない。
このままでいたら、死ぬ前に笑えない。
だから私は、自分のために生きようと思う。
夫がどう思うかなんて気にせず、やりたいことはやる。言いたいことは言う。
今までだって道を踏み外したことはないし、これからだって大きな過ちはしないはず。
変わったと思われたって構わない。
私は、私を信じ、愛してあげればいい。
そう思えるようになってきたからこそ、人生の「次の設計図」も見えてきた。
整えなければならないことは、たくさんある。
でも、夫との関係だけは「なあなあ」で終わらせたくない。
きっと、そうやって熟年離婚を選ぶ人たちも、自分のために人生を立て直したかったんだろうな。
——そういえば、義弟が離婚したとき、夫が言ったことがずっと引っかかっている。
「義弟はさ、自分で弁当作って仕事に行ってたんだよ。夫婦仲が冷えてたから別れたんだな」って。
たしか義弟の奥さん、居酒屋で働いていたはず。
その状況で「弁当」が離婚理由?
昭和的な家族観って、ほんと謎。
でも思い返せば、姑もそうだった。
遠足のとき、市販のお弁当を買ってきて、それを弁当箱に詰め替えて持たせていたと、夫がぼやいてたっけ。
見た目さえ整っていれば「ちゃんとしてる」ってことになるらしい。
指示だけして、やるのは他人任せ。
夫も姑も、そういうタイプ。
「自分でできないことは、やらなければいいのに」——
つくづく、そう思う。

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