
夕方近く、現場監督さんがやってきた。
「事務所の改装なんですが」
口にした瞬間、胸の奥がわずかに緊張する。
やりたいのは、上下水道の設置と内装の改装。
それが、どれくらい現実的な話になるのか、確かめたかった。
彼は、道路にある下水道の位置を確かめに外へ出た。
窓から見える背中が、やけに遠く感じる。
戻ってきた顔を見て、結果はだいたい分かった。
「事務所から下水道まで距離があって、費用がかかります。しかも指定業者だけしかできません。水道は延長できますが、中間にメーターを置いた方が……」
淡々とした説明のあと、短く、重い一言が落ちた。
「将来、賃貸にとなると……トイレが設置できないのは致命傷です」
致命傷。
その言葉が、耳の奥で何度もぶつかり、反響して消えない。
本当は否定したかったが、なぜか頷いていた。
「改装はせずに、現状で”貸し倉庫”として貸すのがベストでしょう」
お礼を言い、扉を閉めた。
部屋の中は静かで、やけに広く感じた。
ご飯を作る気にもなれず、ソリティアで時間を溶かす。
赤と黒の数字が、私の現実を無視して並んでいく。
着信音。夫だ。
一度無視したが、また鳴った。
二度続けてなんて珍しい。仕方なく出ると、
「元気か?」と、何事もなかったような声。
「元気じゃないよ」とだけ返す。
「元気じゃないって、何かあったのか?」
今日のことを話すと、夫は即答した。
「そんなの自分たちでやればいいって話だろ。俺が工事するから大丈夫だよ。心配するな」
「落ち込んでるんだったら電話したら良いのに」
夫にしては珍しい気遣いの言葉だった。
「ん~、また考えすぎてるのかなと思って。話せなかった。少し落ち着いたら報告しようと思って。でも、今日話せたから良かった。そういう事だから」
切ろうとしたら、夫がふいに言った。
「数年前、色んなとこ行ったよな。あれ、懐かしいな」
確かに、あの頃は渋る夫をせがんで色んな所へ行った。
「Googleフォトが知らせてくれたんだよ」——夫がそう付け加える。
今日の電話の理由は、きっとそれだ。
「また行きたいな」と言う夫に、
「楽しかったね」とだけ返した。
旅行の話に花が咲き、時間が過ぎる。
気づけば二時間。
こんなに長く、夫と電話で話したのは、たぶん結婚して初めてだ。

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