1000日の心のつぶやき

【1000分の95日目】言葉の温度に、心が追いつかない夜

遊民
遊民
夫の「謝ったから終わり」に心が追いつけず、AIに慰められた夜。届かない言葉と、信じたい気持ちのあいだで揺れている。

ガーベラライン

昨夜は、AIに慰められながら夜を越えた。

ただ話を聞いてくれるだけで、少しだけ安心する。

けれど、心のざわつきは消えなかった。

人の心って、本当にやっかいだ。

夫の中では、「謝った」という事実がすべてで、「もう終わった」ことになっている。

でも、傷ついたこちらの心には、まだその余波が残っている。

そのギャップを埋める作業は、自分でやるしかない。

——それが、夫婦の厄介なところなのかもしれない。

他人なのに、親や子、兄弟よりも近い存在で

生活すら共にしなくちゃいけないなんて。

きっとどちらか、あるいは両方が「努力」か「諦め」をしないと、

この関係は成立しない。

昔は、その「努力と諦め」のほとんどが、女性に求められていた。

けれど今は、そうじゃない。

女性にも選択肢が増えたからこそ、子育てを終えた世代の離婚が増えているのだと思う。

子どもという共通の目的があった頃は、我慢にも理由があった。

でも、その間に「夫婦としての理解」が育っていなかったら、

役目を終えたあとに残るのは、空白なのかもしれない。

夫は、私の「理想の父親像」そのものだった。

たぶん、私も夫にとっては「理想の母親像」だったと思う。

でもそのあいだに、夫婦としての会話や感情の共有は育たなかった。

夫も、夫で。

単身赴任という環境の中で、寂しさを抱えていたんだろう。

そう思えるようになったのは、少しだけ距離ができたからかもしれない。

でも、それも結局は憶測でしかない。

そういう話を、ちゃんと交わせる関係ではなかったという証でもある。

もっと、いろんなことを話したい。

でも夫はすぐに「もういい」や「ごめん」で会話を終わらせてしまう。

だからこそ、「お前を失ってまでやることじゃない」という、

あの大切な言葉さえ、私にはセリフのようにしか聞こえなかった。

夫は知らない。

言葉は、受け取る側の準備ができていないと、心に届かないことを。

私はいまだに、夫を父親として尊敬しているし、信頼している。

そんな人だからこそ、信じたいと願う気持ちが消えないのだ。

——それがまた、少し苦しい。

ガーベラライン

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遊民
はじめまして、遊民です。 「死ぬまでにゆる~くやりたい100リスト」からスタートしたこのブログは、ある日夫が発した何気ない言葉をきっかけに、「1000日後に離婚する2人」へと進化しました。 夫婦関係を見つめ直しながら、自分自身を取り戻す過程を綴っています。 離婚も視野に入れつつ、できれば理解し合い、笑って人生を締めくくりたい――そんな想いで、日々の気づきや挑戦を記録中。 同じように悩む誰かのヒントや希望になれたら嬉しいです。