【1000分の8日目】人生の目的は「幸せになること」ではなく「誰かを幸せにすること」
目が覚めた瞬間、昨日の読書の余韻がまだ体に残っていた。
連続して本を開くなんて、いつぶりだろう。
今日は学校が休みで、長女は仕事。
代わりに私が孫の昼食を用意した。
特に外出の予定もなく、センターも休館日。
ぽっかり空いた午後の時間に、また『愛される勇気』を開いた。
昨日、心に残っていた「共同体感覚」って、何だろう。
読んでいくうちに、ふと頭をよぎったのは——
「これって、タイミーで働いたときに感じたあの感覚じゃない?」
タイミーの仕事は、単発でマネタイズされた関係。
ありがとうも、おつかれさまも、必要最小限。
それでも私は、自分にできることを、ただやっていた。
「自分はこの社会や人々とつながっていて、役に立っていると感じられること」
あのときは、自己肯定感や承認欲求だと思っていた。
でも今なら、あれが「共同体感覚」だったのかもしれないと思える。
ページをめくるたびに、また言葉が刺さってくる。
人生の意味は、あなたが誰かに与える影響の中にある。
自由とは「他者から嫌われる勇気」ではなく「愛する勇気」
自由になったその先で、どう人と生きるのか?
孤独を怖れず、他者と関わり、愛する。その勇気が必要。
やれるだけやって、それでも合わないなら離れてもいい。
それって、逃げじゃなくて“自分を守る”ってことだよね。
私は、夫に対して、まだ何も始めていない。
あの日、手紙を書こうと決めたのに、「どうせ伝わらない」と、気持ちを引っ込めたままになっている。
それでも、心の中ではずっと続いている思いがある。
夫がどう思うかではなく、まずは「私がどう思っているか」を伝える。
それは“操作”じゃなくて、“誠意”だ。
怖い。でも、やってみよう。
「嫌われる勇気」って、そういうことかもしれない。
まずは、私の気持ちを言葉にしてみよう。
今の私は、それを一歩目にすることなら、できる気がした。
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