【1000分の34日目】自由を選んだ日、そして彼がいた。
最近、郵便物が午前中に届くことは、ほとんどなくなった。
郵便局も人手不足なのだろうか、配達の時間は以前より明らかに遅くなっている。
なので、仕事がひと段落した夕方にポストを確認し、急ぎの案件があれば翌朝から着手するのが習慣になった。
今日も同じようにポストをのぞくと、元請けさんからの赤いレターパックが届いていた。
──これは、至急案件だ。
開封すると、金額変更に関する契約の請書が入っていた。
私の方で処理して返送してもいいのだけれど、念のため夫にLINEを送った。
「お疲れ様です。メールで送って」
即レスが返ってきた。
この元請けさんとは金額面でもめていると聞いていたので、ああ、これがその結果なのか──と納得した。
言われたとおりFAXで送信した後、「あれ?メール?」と一瞬迷う。
夫はメールの操作すら危ういはずなのに、めずらしいこともあるものだ。
とはいえ、言われたとおりメールで送り直し、
「メール送りました。念のためFAXも入れてあります」と一報を入れておいた。
明日は、高卒求人の件でLINEする予定。
スマホのToDoに書き込み、健康センターへ向かう。
センターには、大学生らしい女の子たちが数人。
普段見かけない顔ぶれに、担当の学生に聞くと──
看護科の生徒たちが、授業の一環として参加しているのだそう。
若さあふれる彼女たちにまじって、一心不乱に体を動かす。
息が上がる。でも、心はなぜかすこし軽い。
20歳で母親になった私にとって、この時期に“学び”と“自由”を謳歌する姿は、まぶしくて仕方がない。
悔いはないけれど、もし別の道があったなら──そんなことも思う。
思い返せば、あの頃の私は、今の娘たちよりもずっとしっかりしていた気がする。
スマホもパソコンも身近にない時代。
それでも銀行の金利に目を光らせ、学資保険の利率までしっかり見て、積み立てをしていた。
利率の良かった時代──それが救いだったかもしれない。
実家の援助はなかった。
夫の稼ぎはあってないようなもので、給料の多くは飲み屋のツケに消えた。
生活を立て直すため、ボーナスが年3回出ると聞いたスーパー兼アパレルの会社に就職。
そこで得た収入は、予想以上だった。
水商売をやめようとしない夫に、見切りをつけるには十分だった。
長男が2歳、長女が1歳。
心機一転、引っ越したアパートの上の階に──彼がいた。
今の夫との出会いは、まるでドラマのようだった。
あの階段を上がる足音を、私は今でも思い出す。
そのアパートは、前夫の母が紹介してくれた。
私のことを実の娘のようにかわいがってくれていた彼女は、
「ごめんね」と泣きながらも、「保育園が休みの日に仕事があれば、子どもたちの面倒を見てあげるから」と言ってくれた。
物件は、不動産業者も扱っていないような知人経由の部屋だった。
一階に二部屋、二階に一部屋。
二階はすでに埋まっていた。
一階の二部屋が空いていて、家賃はそれぞれ2万5千円。二階は4万円。
できれば広々としたベランダのある二階がよかったけれど、
まだ幼い二人の子どもを連れて階段を上り下りすることを考えると、
車通りもなく、子どもたちを自由に遊ばせられる広場に面した一階で十分だと思えた。
何より、家賃2万5千円という金額が、私の背中を押した。
私は、空いている部屋の中でも、比較的日当たりの良い部屋を選んだ。
両親には、離婚と新生活のことを電話で報告した。
何もないスタートだったけれど、深夜に酔っ払いの相手をする生活から解放された私は、久しぶりに“自由”という言葉の重みを実感していた。
夫とは、引っ越しのあいさつで
「子どもが小さいので、ご迷惑をおかけするかもしれません」と頭を下げたときと、
ときどき広場で子どもたちと遊んでいるときに仕事帰りの姿を見かけ、会釈を交わす程度の関係だった。
当時の私は、ただ生活をまわすことで精一杯で、
彼の存在は、視界に入っていても“気に留める”というところまではいかなかった。
そんな私たちの距離が急速に縮まったのは──
うちの親族にひとりだけいる、筋金入りのトラブルメーカーの従妹が、突然転がり込んできた時からだった。
いつも応援ありがとうございます。
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