“仕事しかできない”という免罪符は、もう効かない。

「○○家」の家族LINEに、次男の動画がアップされた。
――けれどそのグループには、長男も長女もいない。
そこにいるのは、夫が“家族”と認めた人たちだけだ。
私はその動画に、スタンプをひとつだけ返した。
個別に次男へ短いメッセージを送る。
地域のために頑張っている姿を、誇らしく思うよ。
夫はよく言う。
「お前と次男は、似てるんだよな」と。
その言葉の裏に、どんな意味が込められているのか。
目立ちたがりだとでも、言いたいのだろうか。
たしかに私は、地域の活動によく関わっていた。
PTA、子ども会、サークルの主宰。
家のこと、育児、自営業の経理も含めて、
できるかぎりのことを、黙々とやってきた。
SNSも、よく使っていた。
けれどそれは、誰かに褒めてほしかったからではない。
ただ、自分が楽しかったのだ。
無理をしてでも、やりたかったことだった。
「楽しそうにやっている」――
その部分だけを、都合よく切り取って、似ていると言うのなら、まあ、そうかもしれない。
けれど、次男のSNSに、私の姿は一度も出てこない。
そこにあるのは、父親とのエピソードばかりだ。
……私は、いつもそばにいたはずなのに。
そのことに胸がふっと痛むことがある。
でも、いい。
彼が無理なく、苦労さえも楽しみながら進んでいってくれたら――
それだけで、私はいい。
ふと、過去の光景がよみがえる。
夫はこれまで、地区の班長や少年野球の保護者会長など、肩書きのつく役回りをよく引き受けてきた。
引き受けるだけ引き受けて、実務のほとんどは私に任せきりだった。
私はというと、サークル活動に、PTA、子ども会、家事、育児。
さらには自営業の事務・経理も――
士業に頼らず利益を出すために、どれほど頭を絞ったか分からない。
正直、自分のことで精一杯だった。
あの頃、私はよく怒っていた。
「自分でできないなら、安請け合いしないで」と、何度も何度も言った。
それでも夫は、決まってこう返してくる。
「俺は、仕事しかできないからさ」
それを言えば、すべてが許されると思っているのだろうか。
こちらが背負ってきたものに、気づいていないのか。
それとも、気づかないふりをしているだけなのか。
責任を振られても、どこか他人事のように、軽やかにかわしていく。
気がつけば、怒る気力すらもう、残っていなかった。
そして、30年。
夫はいまだに、何のてらいもなく、口にする。
「俺は仕事しかできない男だって、言ったさ〜」
……はあ。お手上げである。
そんな調子で、
「孫にお金あげるって、言ったさ〜」
などと、平然と言いかねない。
タヒね――
……とまでは言わないけれど。
私が本当に離れるとき、
その“免罪符”は、まだ効力を持つのだろうか。
我ながら、よくここまで我慢してきたと思う。
話し合いの場にすら上がろうとしない人。
せめてこれからは、自分の足で立っていてほしい。
お疲れ様、私。
次は、誰かの“代役”じゃない人生を。

いつも応援ありがとうございます。
▶ 心のつぶやき カテゴリーの記事一覧は こちら
▶ 心のつぶやき 【1000分の54日目】はこちら