何気なく書き留めたひと言が、思いがけず娘の「においの感覚」を取り戻すきっかけになった。
これは、静かな午後に起きた、ささやかな奇跡の記録。

通常業務の朝。
洗濯機のまわる音をBGMに、コーヒーを片手にPCの前へ。
外はもう十分に明るく、レース越しの光がやわらかく差し込んでいる。
いつものルーティン。
メールを開くと、下請けさんから請求書が添付されたメールが届いていた。
そのファイルを、夫の個別LINEにそっと貼り付ける。
「○○社から請求書が届いていました。金額の確認をお願いします」
既読はすぐについた。
でも、返事はない。
──まあ、いつものことだ。
気にする必要はない。
決済日まではまだ猶予があるし、間違いがあればそのうち何かしら反応があるだろう。
こちらとしては確認を求めた。責任の所在は明らかだ。
今日は仕事量も少なめ。
明日予定している行政書士さんとの面談に備え、資料を確認する。
最初に連絡を入れた事務所には、私の住む地域にも出張所があると聞いていた。
けれど、実際に相談できるのは本店らしく、そのことを伝えると──
「地元で開業している女性の先生をご紹介しますね」と、あたたかい対応を受けた。
特に「何かを用意してください」とは言われなかったけれど、
資料が少しでもあれば、沈黙で気まずくなることもないだろう。
空いた時間は、ブログの記事にあてる。
LINEのキープメモの仕様が変わってから、
私は“ひとり用のLINEグループ”を作って、そこに日々の断片を放り込んでいる。
人の記憶というのは不思議なもので、
新しい記憶はまず「海馬」に一時保存され、その後「大脳皮質」に定着するらしい。
すでに脳に刻まれた“古い記憶”のほうが、鮮明に蘇るというのも納得だ。
認知症の初期症状として「新しい記憶が難しくなる」というのも、この構造が関係しているのだとか。
そんなことをぼんやり思い出しながら、グループチャットの画面を眺めていた。
「ぽいっともんじゃ」
──なんだこれ。自分で書いたはずなのに、まったく思い出せない。
……やばい。
いよいよ認知機能が衰えてきたか。
焦って検索してみる。どうやら商品名らしい。
でも、記憶の引き出しは開かない。
……まぁ、今はいい。
どうせそのうち、笑い話かブログのネタに変わるのだから。
それにしても、1000日分の記録ブログなんて、思いついた自分を今すぐ止めに行きたい。
まだ50日を過ぎたばかりなのに、すでに後悔の気配が漂っている。
それでも書き続けるのは、
文章にすることで「自分の立ち位置」を、少し引いた場所から見つめ直せるからだ。
感情を伝えたいときでさえ、私はまず言葉で整理してしまう。
自分の気持ちを、台本のセリフみたいに口にしているような感覚だ。
涙ばかりこぼしていた日々が、今は嘘みたいに遠い。
……まあ、大変だけど。
これは私にとって、きっとリハビリだ。
自分のために書いていこう。
そう思えるようになってきた。
もともと私は、感情があふれなければ冷静に判断できるタイプ。
そんな自分が、少しずつ顔を出してきている。
きっと、生きやすくなっていく。
そんな予感だけはある。
事務所とリビング、トイレ、給水、洗濯……
行ったり来たりを繰り返していると
スマートウォッチが「本日の消費カロリー目標、達成」と通知してくる、横長の家。
その何回目の往復だったろうか。
無意識に足を運んでいたその途中で、ふと記憶がつながった。
「あーーーー!! ポイっともんじゃ!!」
そうだ。
病院の待合室で観たテレビ番組に出てた。
もんじゃ焼きが大好きな次女に、教えてあげようとメモしたんだった。
記憶の断片が一気につながり、スマホを開く手が自然に動いた。
すぐに次女にLINEを送る。
先日は元気そうに見えたけれど、
実はコロナの後遺症で、しばらく嗅覚が死んでいたらしい。
でも──
LINEの文面を読んでいたそのとき、彼女から返信が届いた。
「今、急に、においが戻った」
スマホを持つ手がふっと止まった。
何気なく娘を思って書いたメモが、娘の回復につながるなんて。
言葉って、ほんとうに力を持っているんだ。
言霊の威力に、私はひとり、鳥肌が立った。
忘れていたはずの言葉が、いつのまにか娘とのささやかな交流に変わっていた。
ぼんやりした記憶と、小さな喜びが、ふと交わったような午後だった。

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