
午前中、昨日の行政書士さんからのメールに対応し、必要な書類を揃えるために、いくつかの窓口を回った。
車での移動ではあったけれど、建物の出入りだけでじわりと汗がにじむ。
容赦のない日差しと、逃げ場のない暑さ。
たった半日、あちこちを歩いただけなのに、思った以上に体力を削られていた。
ここ最近、少しずつ体を動かすようにはしている。
おかげで、身体の可動域には、わずかながら変化を感じる。
けれど、体力そのものは——まだ遠くに置き去りにされたままだ。
ついでに食材を買い足し、自宅兼会社に戻った頃には、軽い頭痛がしていた。
鎮痛剤を飲み、エアコンを強めに効かせて、熱のこもった体を冷ます。
ぼんやりと横になりながら、意識のどこかで「この体力のなさ、どうにかしたいな」と考えていた。
思考の糸は、「体力」から「健康」、そして健康センターで見かけた夫婦へと移り、気づけば、オフ会で出会ったあの夫婦のことを思い出していた。
一組目の夫婦は、健康センターで何度か入れ違いに顔を合わせたことがある。
控えめな挨拶と、静かな気配。
お互いを急かすでもなく、待たせることを気にするでもなく——
互いのペースを自然に尊重しているように見えて、私は、そんな空気にふと心を寄せていた。
もう一組は、先日のオフ会で出会ったご夫婦。
奥さんは、子育てのかたわら、イラストやWEBデザインの仕事をしていると言っていた。
旦那さんは、本業の合間に、せどりの副業もしているという。
その言葉を聞いた瞬間、過去に古物商の登録を取り、同じようにせどりをしていた自分の姿が重なった。
なんだか少し、ほっとした。
誰かと似たような感覚を持っていた自分を、肯定されたような気がしたのだ。
——でも、ふとした瞬間、別の思いも浮かんでくる。
私のすぐ隣にいる「夫」は、まったく違う世界の人だった。
彼はずっと建設業畑の人間で、もともとは叔父の会社で雇われの職人として働いていた。
私と結婚して、「家族が増えたから」と言って、自営業を始めた。
「たぶん、お前がいなかったら、サラリーマンのままだったかもな」
そんなふうに言っていた。
勤め人としての経験を土台にして、独立したタイプだった。
あの頃の夫は、自分なりに家族を守ろうとしていたのだと思う。
でも、年月が経つにつれて、私には少しずつ違和感が芽生えていった。
たしかに、夫はアナログな人間だ。
新しいものには慎重で、変化よりも「今まで通り」を選ぶ。
私が少しずつでも新しいやり方や考え方を取り入れようとしているとき、
夫は、変わらない方法の中に安定を見つけていた。
その姿勢が悪いとは思わない。
けれど、ときどき、そのまっすぐさが、ほんの少しだけ遠く感じる。
「オフ会」という言葉を聞いたら、きっと怪訝な顔をされる。
そんな気がしたから、あえて伝えなかった。
家族には話していたし、後ろめたいことなんて何もなかったのに——
それでも、どうしても言えなかった。
言葉が通じない——というほどではない。
でも、どこかで「伝わらない」と思ってしまう自分がいる。
私は、自分の興味から人との関係を広げていく。
夫は、現場や仕事の流れの中で、人とつながっていく。
どちらも“社会”だけれど、見ている方向は、きっと違っている。
その感覚のずれに気づきながら、私は長いこと、見て見ぬふりをしてきた。
ただ、たまに思うのだ。
もしこの“違い”を、
「そういうところも、いいじゃないか」と
夫が笑って見てくれたら——
それだけで、少し呼吸がしやすくなる気がする。
オフ会で会った奥さんは、笑いながら言っていた。
「最初、私は“なんか怪しい”って言ってたんです。でも今じゃ、夫よりハマってて」
その言葉に、私は心の奥で、何かがチクリとしたのを感じていた。
否定せず、寄り添う姿勢。
羨ましい——というほどの感情ではないけれど、
「いいな」と思ったのは、きっと事実だ。
私は、夫婦で何かを一緒にやりたいわけじゃない。
ただ、違う世界にいても、お互いの立ち位置を認め合える関係に、憧れていた。
——最初から、夫と一緒に行くつもりなんてなかった。
一緒にいたら、きっと私は、自分よりも夫の居心地が気になってしまう。
それが、少しこわかったのだ。
だから、ひとりで行きたかった。
ただ、それだけのことだ。
そんな「ひとりでいたい私」を、
否定せず、そっと認めてくれる人がいたなら——
できれば、それが夫だったらよかったのに。

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