1000日の心のつぶやき

【1000分の67日目】静かに積もる、暮らしの距離

遊民
遊民
家事のやり方、モノの持ち方、愛情表現——
気づけば積み重なっていた、夫との“ちょっとした違い”が、
ある日ふと、距離に変わっていた。
ガーベラライン

昨日、義弟の離婚理由の一件をふと思い出して、
「うちの夫と私は、どれだけ違うのか」——そんな視点で、ざっとメモを取ってみた。

まず、家事のスタンスがまったく違う。
私は「汚れない工夫」こそが掃除だと思っている。
換気扇や冷蔵庫の上にはラップを敷いて、汚れたら剥がしてアルコールで拭くだけ。
物には定位置があり、「片づけなくていいように整える」ことを徹底している。

夫はというと、「目についたらこまめに拭く」タイプ。
けれど整理整頓は苦手らしく、どこに何があるのかわからないことが多い。
「爪切りどこいった?」と買い直して、後から出てくるのは日常茶飯事。

洗濯もそう。
私は「乾太くん」派。干す手間も天気の心配も、すべて省いてきた。
洗濯物も畳まない。お気に入りのハンガーに吊るすだけ。
靴下や下着は、ぽいっと引き出しに放り込む。
だから靴下は全部同じ色で揃えている。組み合わせなんて考えなくていい。

一方の夫は、お日様の匂い至上主義(のわりに、干し方は雑)。
ハンガーはバラバラ、靴下は黒・紺・柄もの・五本指までよりどりみどり。
片方に穴があいたら捨てて買い替えるスタイルで、私には無駄に思える。

料理だって違う。
私は、野菜の下処理を一気にやって冷凍。
保存法や時短テクも調べ尽くして、ゴミ出しまで効率化している。
夫は、食材をひとつずつ丁寧に、毎回刻む派だ。

それでも夫には、私が怠けているように映っていたらしい。
けれど、お姑さんと同居していた頃は、仕事をこなしながら、
時短で「刻み・とろみ・柔らかい」食事を三食、
時間通りに、品数も多く食卓に並べていた。
そのときには、夫もさすがに感動したらしい。
私のやり方が、ただの手抜きではないと、少しは伝わったのかもしれない。

洋服の着脱が不便そうなお姑さんのために、服にマジックテープをつけたり、
トイレでズボンを下ろすのが大変だと聞けば、家用のスカートを作ってあげたり——
私は、必要な場面ではちゃんと手をかけている。

こうして並べてみると、
私は「暮らしを回す仕組み」としての効率重視の家事。
夫は、どこか不器用だけど、手間をかけること自体に愛情を込めている家事。

だからきっと、夫にとって「お弁当」は、愛情の象徴。

私の効率化は、彼の価値観からすれば、

どこか冷めているように感じるのかもしれない。

私が一度も早起きしてお弁当を作ったことがないので、

余計にそう感じたのだろう。

(ちなみに、夕食は主菜も副菜もきちんと作っている。)

——とはいえ、付き合っていた頃は作っていた。
でも、あれは夫から提案された「弁当契約」だった。
買い物から仕込み、後片づけまで、全部私の担当。
夫は「親切で頼んだ」と思っていたかもしれないけど、
時給換算すれば、ほぼボランティアだった。

500円のお弁当は、量産するから利益が出る。
ひとつだけ作るなら、どう考えても赤字。
費用対効果で見れば、マイナスでしかない。

それを「愛情」で片付けるのは——
違う。
……まあ、価値観の違い、なのだろう。

数年前、赴任先で「自炊を始めた」と言っていた夫が、
「調理って、準備に数時間かかって、食べるの一瞬、片づけも時間かかるし、アホみたいだな。お前、よくやってたよ。ありがとう」
と言ったことがある。

それ以来、手料理にこだわらなくなって、
帰省時も、だいぶ楽をさせてもらった。
今では、ご飯も冷凍、料理も気が向いたときだけ——らしい。

どれも、些細なことばかり。
夫が理解を示して、そっと歩み寄ってくることもあれば、
ふと離れていくように感じる瞬間もある。

ガーベラライン

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遊民
はじめまして、遊民です。 「死ぬまでにゆる~くやりたい100リスト」からスタートしたこのブログは、ある日夫が発した何気ない言葉をきっかけに、「1000日後に離婚する2人」へと進化しました。 夫婦関係を見つめ直しながら、自分自身を取り戻す過程を綴っています。 離婚も視野に入れつつ、できれば理解し合い、笑って人生を締めくくりたい――そんな想いで、日々の気づきや挑戦を記録中。 同じように悩む誰かのヒントや希望になれたら嬉しいです。