気づけば積み重なっていた、夫との“ちょっとした違い”が、
ある日ふと、距離に変わっていた。

昨日、義弟の離婚理由の一件をふと思い出して、
「うちの夫と私は、どれだけ違うのか」——そんな視点で、ざっとメモを取ってみた。
まず、家事のスタンスがまったく違う。
私は「汚れない工夫」こそが掃除だと思っている。
換気扇や冷蔵庫の上にはラップを敷いて、汚れたら剥がしてアルコールで拭くだけ。
物には定位置があり、「片づけなくていいように整える」ことを徹底している。
夫はというと、「目についたらこまめに拭く」タイプ。
けれど整理整頓は苦手らしく、どこに何があるのかわからないことが多い。
「爪切りどこいった?」と買い直して、後から出てくるのは日常茶飯事。
洗濯もそう。
私は「乾太くん」派。干す手間も天気の心配も、すべて省いてきた。
洗濯物も畳まない。お気に入りのハンガーに吊るすだけ。
靴下や下着は、ぽいっと引き出しに放り込む。
だから靴下は全部同じ色で揃えている。組み合わせなんて考えなくていい。
一方の夫は、お日様の匂い至上主義(のわりに、干し方は雑)。
ハンガーはバラバラ、靴下は黒・紺・柄もの・五本指までよりどりみどり。
片方に穴があいたら捨てて買い替えるスタイルで、私には無駄に思える。
料理だって違う。
私は、野菜の下処理を一気にやって冷凍。
保存法や時短テクも調べ尽くして、ゴミ出しまで効率化している。
夫は、食材をひとつずつ丁寧に、毎回刻む派だ。
それでも夫には、私が怠けているように映っていたらしい。
けれど、お姑さんと同居していた頃は、仕事をこなしながら、
時短で「刻み・とろみ・柔らかい」食事を三食、
時間通りに、品数も多く食卓に並べていた。
そのときには、夫もさすがに感動したらしい。
私のやり方が、ただの“手抜き”ではないと、少しは伝わったのかもしれない。
洋服の着脱が不便そうなお姑さんのために、服にマジックテープをつけたり、
トイレでズボンを下ろすのが大変だと聞けば、家用のスカートを作ってあげたり——
私は、“必要な場面では”ちゃんと手をかけている。
こうして並べてみると、
私は「暮らしを回す仕組み」としての効率重視の家事。
夫は、どこか不器用だけど、手間をかけること自体に愛情を込めている家事。
だからきっと、夫にとって「お弁当」は、愛情の象徴。
私の効率化は、彼の価値観からすれば、
どこか冷めているように感じるのかもしれない。
私が一度も早起きしてお弁当を作ったことがないので、
余計にそう感じたのだろう。
(ちなみに、夕食は主菜も副菜もきちんと作っている。)
——とはいえ、付き合っていた頃は作っていた。
でも、あれは夫から提案された「弁当契約」だった。
買い物から仕込み、後片づけまで、全部私の担当。
夫は「親切で頼んだ」と思っていたかもしれないけど、
時給換算すれば、ほぼボランティアだった。
500円のお弁当は、量産するから利益が出る。
ひとつだけ作るなら、どう考えても赤字。
費用対効果で見れば、マイナスでしかない。
それを「愛情」で片付けるのは——
違う。
……まあ、価値観の違い、なのだろう。
数年前、赴任先で「自炊を始めた」と言っていた夫が、
「調理って、準備に数時間かかって、食べるの一瞬、片づけも時間かかるし、アホみたいだな。お前、よくやってたよ。ありがとう」
と言ったことがある。
それ以来、手料理にこだわらなくなって、
帰省時も、だいぶ楽をさせてもらった。
今では、ご飯も冷凍、料理も気が向いたときだけ——らしい。
どれも、些細なことばかり。
夫が理解を示して、そっと歩み寄ってくることもあれば、
ふと離れていくように感じる瞬間もある。

いつも応援ありがとうございます。
▶ 心のつぶやき カテゴリーの記事一覧は こちら
▶ 心のつぶやき 【1000分の68日目】はこちら