
昨日、夫から改装の承諾をもらった。
昼頃、以前に知り合った信頼できるリフォーム会社の現場監督さんに電話を入れる。
「今日は忙しいけど、明日の夕方なら行けますよ」
そう言ってくれて、電話を切ったとき、一つ前に進めそうな予感がして、胸の奥がふっと軽くなった。
昨夜の電話で、改めて気づいたことがある。
夫の善意は、ときに私の境界線を越えてしまう、ということ。
今回の件も——
「あれ? 甥っ子とは絶縁したはずじゃなかった?」という最初の違和感を、その場で確かめていれば、ここまで嫌な気持ちを引きずらずに済んだのだろう。
けれど私は、そんな違和感やモヤモヤを、これまでずっと自分の中で飲み込み、やり過ごしてきた。
「俺は仕事しかできないから」——夫がよく口にするこの言葉もそうだ。
実家の父に比べれば十分にありがたいのだと、自分に言い聞かせて黙認してきた節がある。
けれど、その積み重ねが、今の私にはもう苦しい。
気力を削られるような毎日が、続いている。
暴力やお金の不足のように、外から見える理由ではない。
けれど、この静かな消耗は、私にとっては十分すぎるほどの理由だ。
夫にとっては、末娘の結婚を機に「お父さん」という役割を少し下ろし、自分に向き合った結果、過去に置き去りにしてきた娘や孫に目を向けたのかもしれない。
その夫の“正解”の中での私は、何も言わずにそれを理解してくれる妻だったのだろう。
けれど、私はそこで“不正解”の答えを出した。
合否で言えば不合格。
それでも、いつものように取り繕って「補欠合格」にしようとする——
そんな夫のやり方に、私はもう合わせられない。
「考えすぎ」と言われたところで、このことを深く考えずに、他に何を考えろというのだろう。
例えば旧車の売却益のこと。
「孫に渡そう」と言われるよりも、少し悪ぶった調子で
「これは家計費とは別だから、好きに使っていいよね」
と言われた方が、よほど納得できる。
なのに夫は、「いい人の仮面」をつけたまま、あえて前者を選ぶ。
その仮面の下で、自分の罪悪感を、静かに私に押し付けてくる——
そんなやり方が、どうしても許せない。
だから私は、手放す準備をしている。
まだ心は重く、足取りもおぼつかないけれど。
夫の“正解”の物語からも、私を絡め取る関係からも。
これからは——
迷いを抱えたままでも、自分の答えに手を伸ばしていく。

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