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― 某ソーシャルゲームにハマって見つけた“本音” ―
こんにちは、遊民です。
ちょっとタイトルが痛々しいかもしれませんが(笑)
これは、実際にあった“私の心の旅”の記録です。
「生きてる意味なんて、もうないかも」そう思っていた日々
3年前の私は、どこか壊れかけていました。
子どもたちは巣立ち、夫との関係はちょっと空気のようで。
更年期の波に呑まれながら、気づけば私は、ただの“家事マシン”になっていたように思います。
Netflixで韓流ドラマを流しながら、ただ時間をやり過ごす。
笑っても泣いてもいないのに、目だけはずっと画面を見つめている。
それが私の“日常”でした。
食べるのも、寝るのも、呼吸するのも、ただの「生理現象」って感じで。
「人間なんて、犬や猫と同じじゃん」
本気で、そんなふうに思っていた時期です。
そして、ふとよぎったひとこと。
「明日、私がいなくなっても、誰も気づかないかも」
……これ、今思い返すとだいぶヤバいですね(笑)
そんな時、「スマホの中に居場所」ができた
ある日、何気なくスマホにインストールしたゲームアプリ。
暇つぶしのつもりだったんです。
でも、ログインすれば仲間がいて、会話があって、目標がある。
イベントに参加して、報酬をもらって、キャラが強くなる。
ちょっとワクワクして、ちょっと誇らしい。
「あれ? 私、今ちょっと楽しいかも」
「ここでは、役に立ってる感じがする」
気づけば、家事の合間にゲームをするのではなく、ゲームの合間に家事をする生活へ(笑)
朝はイベントのためにタイマーをかけて起き、
夜はギリギリまで育成アイテムの収集。
検索魔と化し、攻略動画をノートにまとめる自分がそこにいました。
完全に、ソシャゲに全力投球していた時期です。
「ここにいれば、誰かが私を見てくれる」そんな気がしてた
ゲーム内で名前を呼ばれるたび、
「ありがとう」「助かったよ」って言われるたび、
現実で失っていた“承認欲求”が、少しずつ満たされていく感覚がありました。
あの時の私は――スマホの中で生き返っていたんです。
でも、ある日、変化が訪れました。
ゲーム仲間の“離婚ラッシュ”で気づいたこと
いつも一緒に遊んでいた仲間たちが、次々と離婚していったのです。
3人。
どの人も、ログインすれば必ずいて、声をかけてくれるような存在でした。
それを知った時、私の胸の奥がザワッとしました。
「私も、このままじゃ……?」
そんな未来、いやだ。
ふいに湧き上がった、心の奥の“本音”に気づきました。
私の根っこにあった、大切な想い
家族か、ゲームか。
選ぶまでもないんです。
私は――家族とちゃんと生きたい。
ゲームの中の誰かじゃなくて、
一緒にごはんを食べて、同じ空間で笑える人たちと。
ずっと変わらない、大切な想い。
でも、ようやくその存在に、ちゃんと気づけた気がしました。
ありがとう、ソシャゲ。
結論を言うと
ソシャゲにハマってよかったです。
「何も感じなかった毎日」に、
ちょっと光が差したのは、まぎれもなく、あの時間があったから。
現実から逃げ込んだつもりが、
いつの間にか“本当の私”と出会っていたのかもしれません。
そして、つい先日。
近況報告:アプリ、削除しました。
名残惜しさもありました。
手続きが面倒で、なかなか踏み出せなかったのも事実。
でも今、スマホにゲームは入っていません。
「無ければないで、案外困らないもんだな」と、少し笑っています。
そして今日も、私は――
ちゃんと現実の中で、生きてます。
最後に
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
もし、過去の私と同じように“虚無”の中にいる方がいたら。
逃げ道でもいい。
スマホでもいい。
でも、その先にある「本当の自分」に、
いつか出会えたら――それは、きっとすばらしい旅だと思います。
またね。
遊民より。