【1000分の14日目】怒らない練習とソーメンと、にぎやかな食卓
深夜に帰宅した翌朝、目が覚めたのは昼前だった。
リビングには誰もいない。
窓の外を見ると、倉庫の前で夫が旧車の修理業者と何やら作業をしていた。
きっと、朝食はすでに済ませたのだろう。
私を起こさなかったということは、そういうことなのだと受け止め、静かにコーヒーを淹れる。
ふと目に入ったのは、家族が置いていったままの本棚だった。
胸の奥に引っかかっていた、あの夫の言葉――
「お前、怒るだろ〜」
そのせいか、私は自然と一冊の本に手を伸ばしていた。
タイトルは『脳が知っている怒らないコツ』。
怒るのは“性格”ではなく、“脳の習慣”の問題。
紙に書き出すことで、怒りは整理される。
ページをめくりながら、私は思う。
私は、感情が高ぶると泣いてしまうタイプだと思っていた。
でも、夫からすれば、それも「怒っているように見える」のかもしれない。
もし「意見」を「怒り」として受け取られてしまうのだとしたら、
もう、何も言えなくなってしまう。
女性は「言葉」に反応し、男性は「ルール違反」が許せない。
話せば分かる、は幻想。構造が違うことを知るのが第一歩。
私の主張は、ワガママだったのだろうか。
以前読んだ別の本には、「怒りは期待の裏返し」と書かれていた。
私はずっと、家族に期待しすぎないようにしてきたはずだったのに。
もやもやした思考を振り払うように、倉庫に目をやると、夫の姿はもうなかった。
あれ? お昼、どうするんだろう。
電話すると、
「業者の人と食べてくる」
という返事。
ならばと私は、冷やしそうめんを用意し、孫と二人、静かに昼食をとった。
その後、孫の友達が遊びに来たので、片付けを済ませて、また本の続きを読んだ。
「怒る」とは、キャパオーバー時の脳の悲鳴。
怒りの近くには「客観性」を司る脳番地がある。
怒りを「感情」ではなく「勘定」でとらえると、理性で制御できるようになる。
「勘定」という言葉にくすりと笑った。
なんだか、自分の得意分野で怒りを管理するようで、可笑しかった。
私は昔から、悩んでいるときほど本を読む。
そして、気づけばいつも、そのときの自分にぴったりの本を選んでいる。
無意識に選んだこの一冊が、今の自分に必要な“距離”を与えてくれたような気がした。
夕方、「遊びに行くね」と娘からLINEが届いた。
きりのいいところで読書を閉じ、夕食の支度を始める。
全員そろうことはなくなった我が家の食卓。
それでも今日は、いつもより少しだけにぎやかだった。
笑い声が混じる夜に、私はそっと、感謝した。
いつも応援ありがとうございます。
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