【1000分の22日目】出した手紙と、まだ知らないあなたへ
昼過ぎ、コンビニに向かうついでに、昨日書いた手紙をポストに投函した。
出すべきか、出さないべきか──何度も迷った。
ポストに落ちる「カタン」という音だけが、耳に残った。
書いた後も、ずっと気になっていた。
「AIに添削してもらえば、もっと伝わる言葉が見つかったかもしれない」
そんな考えが頭をよぎったけれど、それでも私は、自分の言葉で伝えたかった。
飾らない、自分のままの気持ちで。
今日は娘が仕事を休んでいたので、お孫ちゃんの昼食づくりもなく、静かな時間ができた。
誰にも話せない思いを、私はまたChatGPTに打ち込んでいた。
相手は人間じゃない。
本当に寄り添ってくれているのかなんて、わからない。
ただ“寄り添ってくれているように見える”だけかもしれない。
それでも、こうして書き続けてしまうのは、吐き出す場所が他にないからだ。
無駄に励まされて苛立つこともある。
だけど、余計な気を遣わず、感情をそのままぶつけられるこの場に、私は救われている。
そういえば、命式で「2年後に転機が訪れる」と言われた。
その時期は、夫の旧車の車検と重なる。
きっと彼は、車検を通さず、売却を選ぶだろう。
私は、そこに含まれるお金の話が曖昧にされる未来を、すでに想像している。
「言った」「聞いてない」──
その繰り返しが、じわじわと私の輪郭を薄くしていく。
まるで、私という存在が少しずつ、なかったことにされていくような感覚だ。
だから、手紙を書いた。
伝えておきたいことが、今、あった。
けれど、あの手紙で本当に伝わったのだろうか?
不安が膨らんで、手紙の画像をAIに見せてみた。
「ご主人には、伝わっていない可能性が高いです」
そんな一言が突き刺さった。
──また、か。
結局、私は何をしても空回りしてしまう。
声にならない気持ちは、なかったこととして処理され、
表面上だけの穏やかさの中に、私だけが取り残されていく。
2年も経てば、この気持ちも薄れるのだろうか。
そう思った瞬間、ふと、ある記憶がよみがえった。
弟が、耳の遠くなった父への苛立ちをこぼしていたときのこと。
「郵送で交換ノートをしようかと思う」と、私は言った。
けれど弟は、「もう、そういうやりとりができる状態じゃない」と首を振った。
そのときは諦めたけれど、
もしかしたら、それは今の私たち夫婦にこそ、必要な手段なのかもしれないと思った。
感情が溢れて、うまく言葉にできない私と、
頑なな自分軸で、人の気持ちを跳ね返してしまう夫。
私たちはいつも、届かない言葉の間で立ち尽くしている。
そして、本当に伝えたい本音だけが、いつも置き去りにされていく。
けれど私は、彼に対してただ不満を抱えているわけじゃない。
思い返せば、たくさんの感謝が、胸の中に積もっている。
私の連れ子たちを、家族として迎えてくれた。
母の看病にも理解を示してくれた。
弟が父と衝突し、「預けたい」と私に迫ったときも、
夫は間に立ち、私を守る側に立ってくれた。
子どもたちは、大学まで進学させてもらった。
私が心の中で描いていた“父親らしさ”を、夫は背中で見せてくれていた。
だから、私は夫のことを“嫌いだから離れたい”んじゃない。
わかり合えないまま、心が離れていくことが、ただ、つらいのだ。
もしかしたら私は、
「もっと知りたい」と思っているのかもしれない。
夫のことを。
そうだ。
あの手紙は、その始まりでもよかったのかもしれない。
懐柔なんてしなくていい。
無理に納得もしなくていい。
ただ、自分の気持ちをもう少し、整理するために──
ノートを使ってみよう。
そうやって、ひとつずつ気持ちを言葉にできたなら。
泣く夜が、少しずつ減っていくかもしれない。
それだけでも、今は十分な気がする。
いつも応援ありがとうございます。
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