こんにちは、遊民です。
最近では「親ガチャ」なんて言葉がありますが、
子ども時代の私はそれを選ぶことも、理解することもできませんでした。
でも、大人になって振り返ると、
「ああ、あの時、私は夢をあきらめたんだな」と思う瞬間があります。
そんな私の“夢の変遷”を、少しだけ振り返ってみたいと思います。
小学生の頃:夢は忍者、そしてジャッキーチェン
当時の私は、「本気で忍者になる」つもりで日々修行をしていました。
真剣に、です。
それが無理だと悟った頃、
映画『酔拳』に出会い、
今度は「ジャッキーチェンになる!」と夢をスライド。
もちろん、こちらも真剣に。
けれど、これも無理と悟り、辛い修行をやめて、
女子の遊びにシフト。
流行っていた「交換日記」では満足できず、
「交換カセットテープ」を提案。
ラジオのDJごっこを録音して渡したら、
返事が来なくなって終了。
この頃の夢は、間違いなく「ラジオのDJ」でした。
中学生の頃:勉強こそがゲームだった
この頃、「私って勉強の才能あるかも」と思い込み、
テスト順位アップに燃えていました。
田舎の中学で周囲の学習意欲が低かったのもあり、
学年1位の夢はあっさり達成。
次の目標は全教科100点。
ラスボスを倒すような感覚で、勉強を楽しんでいました。
高校生の頃:夢をなくし、「ちょっと不良」になる
父から「大学には行かせない」と言われ、
進学への意欲が一気に消滅。
「じゃあ……ヤンキーにでもなってみるか~」
という軽いノリで、
呼び鈴を鳴らしに行ったのが、
中学時代の“本物の不良”の家。
当然、相手はビックリ。
「本当に大丈夫?」と何度も念を押されながら、
“腰かけ不良”の完成です。
飲酒、喫煙、夜遊び、無免バイク
――今までと違う世界をのぞき見していたある日、
「これって楽しいのか?」と冷め、
半年で引退を決意。
バイエルとアドレナリンと私
「今日でヤンキーやめよう」と決めたその夜。
飲んだ帰り道、ノーヘルで原チャを運転中、
道路の穴に前輪がはまり宙に舞いました。
「あ、死ぬかも」と思った瞬間、頭に浮かんだのは――
「ピアノ、習いたかったな……」
友達がバイエルを持ってピアノ教室に通う姿を、
羨ましく見ていた幼い自分を思い出したんです。
そして地面が近づいてくる中、
「今日、もし生きてたらピアノ習お」と。
結果、奇跡的に立てました(そのあと転びましたが)。
頭もかばえたし、原チャを押して無事帰宅。
トイレで吐いて寝て、目覚めたとき、
「あ、生きてる」って。
アドレナリンってすごいですね(笑)
(※未成年の飲酒喫煙は法律で禁止されています。私の場合、時効という事で・・・)
ピアノとバイト、経済格差との出会い
その日を境に、アルバイトを始め、
ピアノ教室に通いました。
バイエルを買って、月謝を払い、
残りのお金で安いキーボードを買い、軽音部にも所属。
ある日、先輩に連れられて行った練習場所
――それは某ホテルの息子の「自宅(というか父の経営するホテルのホール)」。
ドラムセット、ピアノ、シンセサイザー
……まるでプロのレコーディングスタジオ。
「高校生でこれ弾けるの?」
「この設備なに!?」
その日、私は「経済格差」というものを、肌で理解しました。
夢が「自分のため」から「未来のため」へ
帰り道、私は心に誓いました。
「シンセサイザーを買ってあげられる親になろう」
「大学に行かせられる親になろう」
「お金持ちになろう」
そこからは、バイトに明け暮れる日々。
ピアノ教室もバイエルが終わる頃に一区切り。
バンドも一度のライブで満足して終了。
そして新たな夢は――
「高校卒業までに100万円を貯めること」でした。
最後に
さて、私は100万円を貯められたのか?
その話は、また次回にでも。
近況報告ですが、放置していた胡蝶蘭の鉢植えを植え替えました。YouTube先生を見ながらなので成功してるか謎ですが、ワンチャン咲いてくれたら嬉しいです。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
夢を諦めたり、迷ったり、方向転換したり。
そんな自分を、どこかで許して、笑えるようになるまでに時間はかかるかもしれません。
でも、もしも昔の自分を笑えるなら――それはちゃんと歩いてきた証拠だと思っています。
また次回、お会いできるのを楽しみにしています。