【1000分の31日目】“いい父親の顔”と、“現実の父親”のあいだ
二日前から、LINEは既読になるのに、返事がこない。
風邪がぶり返したのではと気になって、
赴任先で一緒に働く長男に、夫の様子を見に行ってくれないかと頼んだ。
「俺、行ったら怒られるから嫌だな」
返ってきたのは、少し戸惑い気味な声だった。
それでも、
「ご飯が食べられなくても、飲むゼリーとかポカリとか……。お願い、買って持っていって」
と頼み込んだ。
しぶしぶながら、長男は夫の元へ向かってくれた。
長男の声が電話の向こうから返ってくるのを、じっと待っていた。
私の中には、ずっとモヤモヤがくすぶっていた。
「〇〇さんと病院行ったって。大丈夫みたい。やっぱり、俺は怒られたけど」
電話口の長男の言葉に、胸の奥が少しざわついた。
病院に付き添ってくれたのは、家族ではなく“他人”だった。
家族より、職場の誰かを選んだ夫。
「でもさ、お父さん、長男くんのこと現場任せられるって、期待してるって言ってたよ? 頭もいいし、土木の免許取ったらいいのにって。ゴルフだって一緒に行ってるでしょ?」
私は、そう返した。
「そんなことないよ」
長男は、ためらいもせず言った。
夫の言葉と、長男の反応のズレ。
何か、引っかかる。
もしかして
──夫は、思っていることと、やっていることが違う人?
そういえば、私のこともそうだった。
他人には「いい妻だ」と言い、
まわりは、みんなそろって「あなた、愛されてるね」なんて言う。
でも肝心なのは、私がその“愛されている感じ”を、いつも受け取れなかったこと。
「こう思っている俺、かっこいいだろ」
そういう外面だけを、うまく取り繕う術に長けているのかもしれない。
ああ、だから夫の言葉はいつも“定型文”みたいに聞こえるんだ。
“いい夫の顔”“いい父親の顔”
そうやって、役を演じるように生きているのなら……
そこに“本当の気持ち”は、あるのだろうか。
態度に出ない愛は、
愛されていないのと、たぶん、同じだ。
もちろん、彼は仕事は真面目で、責任感もある。
ちゃんと収入も入れてくれる。
けれど──
責任感だけで、あそこまでできるものなのだろうか。
私なら、無理だ。
どこかに、“想い”がなければ、続かない。
何だろう、この違和感。
「いい夫」「いい父親」
その肩書きのなかで、
私たちは、いつからすれ違ってきたんだろう。
他人の前では優しく笑って、
家族の前では機嫌を隠そうともしない。
そういう人だと、
もう、ずっと前からわかっていたはずなのに。
それでも、「私の見る目がなかったのかも」と、
何度も自分を責めた。
誰かに語る“理想の家族”には、
いつも私たちの実態が含まれていない。
あの人が描く家族は、どこか絵空事で──
そこに私は、いない。
長男にだって、本当に信頼しているなら、
行動で示してあげてほしい。
期待しているのなら、怒る前に話してあげてほしい。
「期待してる」って、
そんなに軽く使っていい言葉だったっけ?
私が本当に欲しかったのは、
“いい夫でいたい”という仮面じゃなくて、
たったひとつの、素直な言葉だったのかもしれない。
……それを引き出す努力を、
私はもう、やめようとしている。
この違和感に、私はもう目をそらさない。
たとえそれが、終わりのはじまりだったとしても。
いつも応援ありがとうございます。
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