【1000分の43日目】教習の日々に紛れて、そっと降ったロマンス
スナックでのバイトは、あっけなく終わった。
上司に指摘され、何とか言い繕ったけれど、心はすぐに決まった。
その日のうちにママに「辞めます」と伝えると、ママは少しだけ寂しそうに微笑んでくれた。
「今月分の残り、取りにおいで」
「……ほとぼりが冷めたら伺います」
ママは言った。
「水商売、あなた向いてると思うけどね」
優しさだったのか、それとも本音だったのか。
けれどあの独特な世界に、私はどうしてもなじめなかった。
スナックのバイトを辞め、夕方の慌ただしさから日常の生活に戻り、広場で子どもたちと遊んでいると、ふと声がした。
「最近、夜に明かりがついてなかったから、引っ越したのかと思った」
夫の声だった。
私は少し迷ったけれど、打ち明けた。
「車の免許が取りたくて……スナックでバイトしてたの。本業にバレそうになって、辞めた」
夫は少し驚いたように目を見開いたあと、笑った。
「なかなかガッツあるな」
その笑顔に、胸がふわりと温かくなった。
「よかったら、久しぶりに話さない?」
(従妹もいないのに……いいのかな)
でも、あの日々の空気が懐かしく胸によみがえり、私はそっと笑顔でうなずいた。
夜。子どもたちを寝かせたあと、他愛もない話をした。
23時頃、「じゃあね」と別れる。
そんな夜が、何日か続いた。
その中で、夫が言った。
「免許取るならオートマ限定だと安いって聞いたことあるぞ」
けれど、中古車屋をのぞくと、オートマ車はほとんどなくて高かった。
逆に、マニュアル車は値が下がっていて、予算的にもそれが現実的だった。
翌週、教習所に足を運んだ。
オートマ限定をすすめられたけれど、私は迷わず答えた。
「マニュアルでお願いします」
職場のシフトと教習所の時間割を調整しながら、教習に通った。
フロアのみんなが「頑張って」と背中を押してくれた。
仮免は一度だけ落ちたが、ほぼストレートで合格した。
「遊民がいたから、勇気が出た」と言って免許を取りに行った先輩もいた。
その言葉が、心の奥に、静かに誇らしさを残した。
夜のおしゃべりは、私の日課になった。
結局、マニュアル車にしたこと、教習所での出来事や仮免の話も、その時間にそっと伝えた。
就寝前の、静かで楽しい時間だった。
「中古車が見つからない」とこぼすと、夫は言った。
「俺の車、使っていいよ」
「……いや、それは」
夫は少し笑って、肩をすくめた。
「彼氏の車だったら?」
「彼氏なんて、いません」
一拍置いて、夫が少しだけ視線をそらしながら言った。
「だから、俺は?」
ふいに、胸が苦しくなる。
(え……俺? 私?)
そんな風に言われたら、どうしたらいいかわからない。
黙り込む私の頭を、夫がそっとポンポンと叩いた。
「あんまり無理すんなよ。考えといて」
「……うん、帰るね」
私は小さくつぶやき、逃げるように自室へ戻った。
耳に残ったのは、速くなる自分の鼓動の音だけだった。
その音は、夜の静けさに溶けずに、しばらく私の中で響き続けていた。
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