【1000分の45日目】ノートの返事と先祖崇拝
昨日の夕方、ポストを開けると、夫からのノートが届いていた。
筆不精の夫に答えやすいようにと、私はたった四つの質問を書いて渡した。
あの日、静かな部屋で一人、夫の言葉の端々から拾い集めた想いを、慎重に問いに変えて。
そして、夫の返事。
1.もしかして、赴任先で余生を過ごそうと考えていますか?
「考えていない。余生は沖縄で、次男と次女の子どもと過ごします」
その言葉の中に、私は含まれているのだろうか。
「次男と次女の子ども」と並べて語られた未来に、私はただの付属品なのか。
それとも、夫の心の中では、もう私は家族ではないのか。
2.一緒に暮らしたいです。赴任先に行っても良いですか?
「来て良いよ。夫婦なんだから。少し嫌になったら、沖縄と赴任先を行ったり来たりしたらいいと思う。長い間離れて暮らしているから、少しずつ距離を縮めて行こう。」
その「夫婦なんだから」という言葉に、私は安心するべきなのか。
それとも、夫の精一杯の優しさに、ただ感謝すればいいのか。
3.会社の移転を考えていますか?
「考えている」
4.会社の将来について、具体的な計画はありますか?
「計画がある」ヨロシク!
……ヨロシク!?
具体的なことは言わず、また私に丸投げかと、心の奥で乾いた笑いが漏れた。
ノートを閉じ、私は深く息を吐いた。
LINEや電話で「ちゃんと書いたよ」とアピールしていた夫。
質問に三択で返ってくるだけで上等だ、そう思っていた。
それでも、いくつかの言葉が添えられていたことを、私は素直に褒めてあげたいと思った。
けれど、その言葉の奥に、私が求めるものは見えなかった。
会社のことは、まだ構想の段階なのだろう。(丸投げ感は否めないが)
実働のある赴任先に拠点を移すのなら、私も賛成だ。
でも、あの話だけは、今も私を苦しめる。
夫が言った、「旧車の収益を孫が仏壇を置ける家の頭金にしたい」と。
孫の家、それは私にとって元嫁の家でしかない。
夫はそのことを、ちゃんと理解しているのだろうか。
「そんなに心を残すくらい、元嫁のことを思っているの?」
「私との三十年は、一体なんだったの?」
問いかけたい思いが、空回りばかりしている。
一度、手紙に書いて伝えたこともあったのに。
先祖崇拝、仏壇信仰、沖縄の伝統。
私には理解できないことばかりだ。
義弟の息子の病にユタを呼べと言われたときも、同じだった。
「そんな祖先に悪さをする仏壇なんか、もう拝まない」
「仏壇すらない家だってたくさんあるのに、何が不満なの?」
「仏壇は貸すから、必要な人がユタを呼べばいい」
私はそう突っぱねた。
形だけの先祖崇拝より、今を生きることを大切にしたかったから。
それでも親戚は、私を「怖い嫁」と見たのだろう。
親戚の不満は、いつも家長である優しい夫のところに集まる。
夫が「めんどくさい、やりたくない」と思ったことは、
「遊民がダメって言うから」で片づけられ、
逆に「やってあげたい」と思ったことは、私に伝わってくる。
理不尽なことがない限り、それに応えてきた。
けれど、その役目に、私はもう、心底疲れ果ててしまった。
夫は言った。「余生は沖縄で、次男と次女の子どもと過ごす」と。
その言葉の中に、私はいるのだろうか。
私は、この家族の一員であることを、あのときから少しずつ諦め始めていた。
本当はただ、夫の心の中に、私の居場所が欲しかっただけなのに。
いつも応援ありがとうございます。
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