
昨夜は、孫が眠るのを見計らって帰宅した。
私は静かに部屋の鍵をかけた。
今回の件について、孫と話し合い、今後のことを書いて報告してもらうまでは、このままでいようと思う。
長女には、ひと言だけLINEを送った。
「被害者ヅラはやめて。辛いのは私のほうだから」
眠れそうになかった。
主治医から処方されている眠剤を、いつもの倍飲んだ。
気づけば眠っていた。
吠えたことに、後悔はしていない。
よく考えた末の、正当な怒りだったと今は思っている。
朝、ふと心に浮かんだのは、「私はいったい、何をどこまで背負っているんだろう」という疑問だった。
一度、自分が家族のために引き受けていることを棚卸してみようと思った。
もし私が明日突然いなくなっても、誰も困らないように。
そんな状態を目指すのが、今の目標かもしれない。
次女の確定申告は、今年の初めに一緒にやった。
やり方も教えてあるし、彼女なら大丈夫だと思う。
次男の仕訳はシンプルだし、内容も難しくない。
LINEで「次年度からは自分でやってね」と伝えた。
ついでに本棚の整理も始めた。
まだ普通に売っている本は処分する予定だと書いたら、
「お母さん、何かあったの?」とすぐに返事が来た。
「終活」——たったそれだけを、ぽんと送った。
子どもたちから頼まれることなんて、たかが知れている。
ただ、長女の件だけは、孫が関わるぶん、すぐに答えを出せない。
けれど私は決めている。
孫が義務教育を終えたら、そこでひとつ線を引くつもりだ。
「母親と二人で、また元の生活に戻りたくなければ、寮のある学校を選びなさい」——そう、私は孫に伝えてある。
けれど、まだ子どもだから、現実と向き合うより、“逃げる”ほうへ気持ちが傾いてしまうのも無理はないと思う。
それでも、もし本気でそこを目指すのなら、私はいくらでも応援してあげたい。
もともと塾に通わせ始めたのは、長女が鬱を抱えて育児が難しくなった頃、小学2年から3年にかけて、孫が学校に通えなくなったことがきっかけだった。
小学4年の春、孫だけを私の家に迎えた。
あのときは、ただただ、これまでの遅れを少しでも取り戻してやりたかった。——それだけだった。
寮のある学校に進むかどうかは、最終的には孫自身の選択に任せるつもりでいる。
長女の元から高校に通いたいというのなら、それはそれで構わない。
ただし、そのときは、私はもう一緒には暮らさない。
私が塾に通わせているのは、“いずれ寮に入る”という前提があってのことだ。
でも、彼はまだ——その意味を、きちんとは理解していないように見える。
そして——
問題は、夫だ。
このままでは、きっと何もできない老人になってしまう。
それは本人にとっても、私にとっても、不幸なことだと思う。
だから、できることから少しずつ、夫にも自分のことを自分でできるようになってもらおう。
もちろん、専門家に頼ることも含めて。
アナログなやり方なら、彼も納得して動けるかもしれない。
実際、業務災害保険については、営業の方と話しながら手続きを進めているようだし、
現場に必要な補償については、私より夫のほうがよく知っている。だから、そこは安心して任せようと思う。
——そうやって、少しずつ。
夫の荷物も返していこうと思う。
これからは、無理に背負わない。
助けを求められたら、そのときは手を貸すかもしれない。
でも、自分をすり減らしてまで誰かを支える生き方は、もう卒業する。
私には、私の時間がある。
まだ途中のまま、手つかずの夢もある。
それらを丁寧に拾い上げていくことが、きっと私を癒してくれる。
これは静かな終活——
でも、どこかで静かに始まっている、第二の人生のプロローグ。
急がず、焦らず、でも確かに進んでいこう。
今度は、自分のために。
きっとこれは、穏やかな再出発のために、私がしている「家族を卒業する練習」なのだ。

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